ねこものがたり

いちにちいっぽ

「好きなものを嫌いにならない」という生存戦略

最近幾度か人にこの話をする機会があって、珍しがられたり共感してもらったり驚かれたりと様々な反応をもらいました。「好きなものを嫌いにならない」ための行動選択についてです。せっかくなので文字にしておこうと思います。

いくつかの人生経験から、「嫌いにならない」の優先順位はものすごく高くなりました。 「家族」「健康」「お金」と並ぶくらい「(嫌いにならないというのはつまり)好きなものを好きと思うこと」が来てます。

「好きなものを嫌いにならない」ためのマインド

好きなことに対して義務感が生まれたらあえてやらないにしています。 例)「行きたいと思ったら行くが、行かなきゃと思ったら行かない」「やりたいと思うならやるが、やらなきゃと思ったらやらない」

とはいえそんなことをしていると継続ができない、継続ができないと力がつかないので、もうちょっと内省します。 「ここで休んだら身にならない、もっと伸びたいと思うようならやる」という感じです。「自分を変に追い詰めている」と感じたらやらない方を選びます。

そのため継続が必要なことは、めちゃくちゃハードルを低くすることを意識しています。 例)「毎日詰将棋をやる。けど、もしどうしてもできない日は解かなくても問題を見るだけでも良いことにする」

それ以外に、それと一定の距離を取ったり、違うことをすることも楽しんだりする様にしています。「好きなもの」をプログラミングに置き換えると「プログラミングがすごく好き。でも週末は将棋も楽しむし水泳もする。毎日睡眠時間は絶対に削らないようにして、美味しいものは美味しいと思いながらご飯を食べれる自分でいる」という具合です。

なぜこう思う様になったか

私は元来めちゃくちゃハマりやすくて、ハマると寝る間も惜しんでやってしまう傾向がありました。 それ自体はいいも悪いもないことかもしれませんが、私の場合それを続けるうちに途中で燃え尽きてしまうことがあったり、力量が違う人に会うと「私なんでこんなことしてるんだろ、私はどうせ大した人にはなれないのに」と虚しくなったりして、「もう○○を見たくも聞きたくない」と、憎しみすら抱いて何もかも壊したくなったりしたことがありました。 いわゆる挫折というやつです。

それはもうだいぶん前のことですが、ずいぶんと時間が経ち私も大人になって、また別の新しいものを好きになった今、「界隈で何者になれなくてもいいから好きなことを好きなままでいたい」と思う様になりました。

好きという気持ちは宝物

今の自分にとっては「何かを好き」という気持ちはキラキラしたすごく大切なものです。 大事だから失わないように、壊れないように、無くしてしまって悲しい思いをしないように、他の誰かの何かを好きだと思う気持ちも尊重できるように、自分は自分を大切にするという意味でもこのようなスタンスで毎日を過ごしていようと思っています。