ナイーブでプライベートすぎることをブログに残す気はさらさらなかったけど、少しは出してもいいと思える自分が最近いるらしいです。
「今の私の気持ち」を綴ると「いつかの誰かの気持ち」と重なったり、未来の自分が「こんなことを思っていたのか」と懐かしく浄化されることがあるかもしれません。
日記を書いたりもしてるので後者の目的だけならそれでいいんだけど、前者が生まれるのがインターネットの良いところだと思うので、自分が「書いてもいいかな」と思える程度の内容で書いてみることにしました。
子どもができなくて辛くて転職した過去の私へ
前職から今の会社へ転職した表向きの理由は「コロナの煽りを会社が受けたので」というものです。でも本当の理由は「子育て関係のサービスを運営していて社員も子持ちが圧倒的に多い会社で働くことが、治療を続けても子どもができない自分にとって生き地獄だと感じるようになったから。コロナでそれが加速したから」というものです。
「子育て世代はいつどこにだっているけれど、そんな話をする機会がもっともっと少ない会社にいきたい」と思っていました。だから「保育園補助」とかそういう子育て層に効く社内制度を全面に出している会社は候補から外していました。
転職と同時に「今度の会社は忙しそうだし通院のために仕事で迷惑かけるのはもう嫌だ。何よりこれ以上通う自信がない」と不妊治療をやめたのですが、「心が壊れそうなのを我慢して病院に通ったり、仕事の前後や夜に泣いたりしなくて済む」と思ったことを覚えています。
その意味で、転職は成功でした。 「転職するからには成長できるチャンスにしたい」と前向きな気持ちも抱いていた一方で、「こんなことで転職するなんて」「スキルも経験も何もないのに」と情けさや虚しさ、不安を抱きながら転職を決めた当時の自分に、「転職してよかったね」って言ってあげたいです。*1
また周りの様子を見聞きして苦しくなっている今の私へ
どの会社どの仕事をしても子育て世代は絶対にいるということはもちろんわかっていました。 仕事だけではなく生活のあらゆる場面でそうです。 それでも環境を変えたことで過ごしやすくなっていました。
しかし今また少ししんどいなと思っています。 それは、社内で妊娠・出産報告やちょうど3-4月でライフイベントの話題が続いているからです。 それ自体はとても喜ばしいことだと思います。出産を控えている人には「どうか母子共に健康で」と心から願っています。
しかし「おめでとうございます」をいう時の私は無感情になっています。 「ああ、この瞬間、こんな時間は私には永遠に来ないんだな」とどうしても思ってしまうからです。
通院をやめた時から1年以上経ち、徐々に徐々に自分で受け止め穏やかに過ごせるようにはなってきました。 しかしやっぱり心の底ではそんなに綺麗に割り切りきれないみたいです。
未来の自分は、そんな今の自分に「大丈夫、ちゃんと幸せでしょう」と言ってあげられるようになっていたいです。
「子どものいない人生を受け入れる」には3年はかかるらしい
今月から不妊治療への保険適応が開始しました*2。金銭的な支援はとても重要だと思います。私は恐ろしいので総額は計算していません...。
しかしある意味で金銭面以上に負担がくるのが精神面だと身をもって体験しました。 自分もこのブログを書いているようにやめて時間が経っても整いきれていないです。 仕事の手が止まったり夢に見て泣いてしまうこともあります。
治療を始める前は「とにかく早く子どもが欲しい」と強い気持ちと焦りがありました。 治療を続けている中では「もう一回やれば...でも...またダメかもしれない」と希望と絶望を行き来していました。 今は日常的には「今もこれからも、夫婦で日々を過ごせるなら幸せだ」と思って過ごしていますが、このエントリーのように「お前はもう子供はいないんだ」と現実を突きつけられ崖から落ちるような気持ちに襲われたりする瞬間・期間もあります。
いつか、子どもを欲しいと思ったが不妊治療の末恵まれなかった人がそのことを受け入れられるようになるのに平均3年かかるというアンケート結果を載せた論文を読んだ記憶があります。
その数字を参考にするなら自分もあと2年くらい経てばもう少し何か楽になるかもしれません。 過去や今の辛さも思い出にできればいいなと、そして、いつかまた「おめでとうございます」をちゃんと心から言えるようになりたいです。
*1:本音ではそんな動機だったけど今の会社に誘ってくれた人、とってくれた会社には感謝しています
*2:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-hoken/funin-01.html